【障害を抱える皆さまに外へ出るための後押しをしたい】−車いすユーザー堀川さんにインタビュー−

今回、車いすユーザーである堀川さんに、車いすユーザーとしての移動に対する思いや活動範囲を広げるまでの経緯、現在の取り組みについてお話を伺いました。

1、車いすユーザー堀川さんの生活歴

−−−−−堀川さんのこと教えて下さい!

私は、前回東京オリンピック(1964年)の年に生まれました。そして、交通事故にあい障害者になったのがロンドンオリンピックの2012年でした。その後は、家族に頼みこんで2016年までリハビリテーションを頑張って行いました。2016年はリオオリンピックです。この生活歴からも、私の人生にはオリンピックが大きく関わっているんじゃないかと感じています。これは運命じゃないかと、、笑

2016年からは、東京オリンピック・パラリンピックでボランティアを行うことを目標に様々な取り組みを行っています。本当であれば、今頃、サッカーの試合でボランティアに入る予定だったんです!!笑

−−−−−堀川さんにとってオリンピックが人生の分岐点になっているんですね!

2、活動を行うようになったきっかけは??

−−−−−堀川さんは積極的に活動に参加されていますね。堀川さんが再び社会参加を開始されたきっかけを教えて下さい。

病院から退院後少ししてから、横浜ラポールにあった横濱義塾という車いすラクビーのチームをたまたま知りました。そのグループの練習を見学させて頂き選手と仲良くなって、そこから脊損(脊髄損傷)・頸損(頸髄損傷)の方々と知り合ったんです。私は片麻痺だったんですけど、みんなに色々な事を教えて貰いながら色々なスポーツの体験をしました。競技用の車椅子を漕ぐ方法やちょっとした段差を登る方法を教えてもらいながら交流を続けました。

−−−−−車いすラクビーのチームである横濱義塾はどのようにして知ったんですか?

Facebookを通じて知り合いから繋げてもらいました。

SNSでの繋がりはとても貴重です。障害当事者だけでなく、PTさんOTさんなど幅広い方と知り合えたので皆さんもやってみると良いと思います。反面、使い方を間違えれば色々な弊害もあるので注意して下さい。

−−−−−どのようにして活動の幅を広げていったのか教えて下さい?

私は、失語症があって言語的なコミュニケーションをうまくとることができませんでした。入院中も、患者同士よりは看護師さんや療法士さんといった病院スタッフの方々と話す機会を多く設けていました。これは、自分自身のリハビリのためでもあります。なので、退院してからも積極的に健常者の方々と関わるようにしていました。

その中で、1番最初に参加した大きなイベントが鎌倉の材木座で開催されているバリアフリービーチでした。ここで、多くの医療・介護従事者の方々と出会えたことで私の人生は大きく変わって行きました。〈写真は鎌倉バリアフリービーチin材木座に参加する堀川さんとボランティアの方々〉

ここで、障害者としてボランティアを受けた経験は私の中でとても重要なポイントで、『僕自身もボランティアを通じて社会に貢献したい』と考えるきっかけになりました。

その後、障害平等研修(Disability Equality Training:DET)を相模原で医療・介護従事者や一般市民の皆様に向けて行えた時はとても感激し、感極まったのを覚えています。笑 今まで、医療・介護従事者の方に様々な支援を行っていただいて、それに『恩返しができたんだ』と、とても嬉しい気持ちになりました。〈DET相模原でファシリテーターを務める堀川さん 写真中央〉

3、堀川さんの移動手段について

−−−−−堀川さんは普段どのような移動手段を使われているのか教えて下さい。

今は主に車を使用しています。逆に車しかないので、車で行けないところは行くことを諦めています。年に1、2回バスやタクシーを使うこともありますがほぼ車です。

−−−−−移動において困ることはありますか?

私は移動を主に車で行っています。そのため、駐車場がないと路上駐車になってしまうので、事前に駐車場があるか調べています。

私は、車でコンビニやスーパーに行くことがあるのですが、その時に積極的に周りの方々に助けを求めるようにしています。みんな声かけるの戸惑うでしょ?笑。私は近くにいるお客さんにコンビニの店員さんを呼んできてもらい、その店員さんに「車椅子で外に出れないから、”これとこれ買ってきてもらえませんか?”」と頼むようにしています。たまに断られることもありますが、たいがい受け入れてくれますよ!セルフのガソリンスタンドでもスタッフさんに声をかけるようにしています。スタッフさんも、私が車いすであることを伝えるとフルサービスに近い対応をしてくれます。

−−−−−周りの方に声をかけるのは勇気がいると感じます。最初から周囲の方に助けを求めることができたのですか??

昔はできなかったです。できるようになったのは、車いすユーザーの先輩方に話を伺ってからです。先輩方が、「これだったら手伝ってくれるよ」とか「1人目は断られても2人目で断られることは少ないよ。日本では大丈夫だよ。」ということを教えてくれたので、私も真似するようになりました!!笑

人脈が広がるとそういった情報が次から次へと入ってきます。最初の1歩は大変だけど、1歩踏み出せば活動範囲も大きく広がっていきます!

4、自動車運転について

−−−−−運転を再開してからすぐに車には乗れたんですか??

すぐに以前と同様に乗れたわけではありません。

まず、自動車教習所のペーパードライバー教習を3回受講しました。その後、妻に助手席へ乗ってもらい、自宅周辺を5分〜10分運転するところから始めました。そこから慣れてきて、現在は雨の日や夜も運転できています。高速道路も乗っています。

−−−−−堀川さんは改造車(身体の状態に合わせてブレーキやアクセルなどを改良した車両)に乗られていますよね??どのように設定されたのですか??

ディーラーでも改造は受けられましたが割高になるので、専門の業者に直接お願いしました。私は地元にある整備工場にお願いしました。さすが専門業者という感じで、ほぼお任せでお願いしました。〈写真は堀川さんが運転する自動車の改造部分〉

5、障害を抱え外出に対して困難さを抱く方へメッセージ

−−−−−障害を抱え、外出に対して勇気が持てない方も多いと思います。堀川さんからメッセージをお願いします。

勇気を出して最初の1歩を踏み出してほしいですね。最初は勇気が出ないかもしれないので、家族や友人など気を使わない仲間に「一緒に外に出てくれないか」と声をかけてほしい。周りから誘われたら勇気をもって誘いに乗ってほしい。1歩踏み出せば、そこから沢山の仲間ができて楽しいことや嬉しいことが待っていると思います。

それでも勇気が出なければ、私がお手伝いしますので、声をかけて下さい!!

SNSなどでメッセージをいただければ相談に乗れるし、講演会などのお話をいただければ話に伺います!!

あとは、私が、サーフィンしたり、ダイビングを行うことで、「あぁ片麻痺でもこういうことできるんだな」、「こんな変わっている人がいるんだな!笑」と同じ障害を持っている人達に知ってもらえると嬉しいです。そのために私もたくさん挑戦して発信していこうと思います。

6、おまけ

−−−−−東京オリンピック・パラリンピック2020でボランティアに参加されるんですね??

オリンピックでは、フィールドキャストとして新横浜の横浜国際総合競技場でサッカーの仕事が決まっていました。また、パラリンピックでも開会式/閉会式のアシスタントキャストとして参加する予定でした!!来年こそ無事開催されテレビでオリンピックの中継やパラリンピックの開会式・閉会式を観る機会があれば僕のことを探してみて下さい!笑


堀川裕之さん

1964年生まれ(前回オリンピックの年)

2012年事故にあい、身体に半身麻痺を抱える。

・障害者平等研修(DET)ファシリテーター

・相模原市医療福祉交流会役員

・川崎フロンターレボランティアスタッフ

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